研究の分野で事前規制の強化はふさわしくない

5 8月

 事前規制によって時間をとられると、そもそも新進気鋭の発表は事前につぶされ、無難な研究に満たされ、社会の進歩が放棄される可能性がある。

 だからこそ、『研究者は全員、善意・軽過失で研究を発表する』という前提で研究は発表され、評価された方が良い。

 

 『研究者は全員、善意・軽過失で研究を発表する』という前提では、研究者の倫理観が乏しければ不正を未然に防げないが、研究者らによって(重大な発表ほど)検討されることと、検証機関を設けることによって、不正・重過失を発見される。

 事前規制を強化しないからこそ不正・重過失を発見された研究者に対しては、所属機関(大学や学会等)から解雇・従来の発表の取り消し等の厳格な対応が必要である。

(善意という前提で成り立つ研究者の世界において、そうした処分を受けた研究者の論文は、どこに不正が紛れ込んでいるかわからず読むこと時間の浪費であり、今後は誰も読まなくなる。不正の疑いをもたれれば処分をしなくても、その研究者は研究を続けることはできなくなるが。)

 では、所属機関が、厳格な対応をとらなければどうなるであろうか。

 もし厳格な対応をとらなければ、『研究者は全員、善意・軽過失で研究を発表する』という前提に貢献をしない機関であるというレッテルが貼られることになるだろう。

 その所属機関で発表される研究成果は、すべて疑義の目で評価され、所属すること事態が研究者にとって害になる可能性すら出てくる。

 

 小保方氏の博士論文について、早生大学は、「本件博士論文には、上記のとおり多数の問題箇所があり、内容の信憑性及び妥当性は著しく低い。そのため、仮に博士論文の審査体制等に重大な欠陥、不備がなければ、本件博士論文が博士論文として合格し、小保方氏に対して博士学位が授与されることは到底考えられなかった。」と認定した。

 それにもかかわらず、不正ではなく学位取り消しには該当しない判断した。

 小保方氏は、「(画像の転用や他論文からの剽窃が)悪いことだと思っていなかった」と述べており、一般的な研究発表の最低限の規則・倫理観を保有していないことが明らかとなっている。

 誰が書いても同じ文章にしかならない理論の部分について、引用が抜けている程度なら軽過失として注意程度で済ますのが良いだろう。

 しかし、「内容の信憑性妥当性が著しく低い」論文を容認し、最低限の規則や倫理を教えることすら出来ない教育機関に、何の価値も無い。

 「内容の信憑性妥当性が著しく低い」と判断し、かつ規則・倫理観を教育していない研究機関の学位や研究発表に、何の価値があるのだろうか。

 早稲田大学は、自らが認定した学位と研究発表には何の価値も無いことを、主張している。

 研究機関としては、自殺行為以外に何物でも無い。

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