人格否定の反論は、自らを貶め相手に正当性を与える最悪の反論

20 6月

 慰安婦問題、南京虐殺、重慶無差別爆撃、シンガポールの中国系市民虐殺、インドネシアでのオランダ人を対象にした集団強姦など、日本が戦時において行った戦争犯罪とされるもので、事実で無い部分があるのかもしれない。

 しかし、主張の一部分や主張者の過去の過失が信頼できないとして、相手の人格を否定する反論は、その反論自体が、反論者の人間性の愚劣を証明することになる。

 

 経済の低迷と隣国のナショナリズムの高揚に呼応して、日本でもナショナリズムが高まっている。

 日本のナショナリズムは、大戦中の戦争犯罪の見直しと反論という形で表出している。

 過去の検証は、政権の結論ありきの妄想ではなく、定義を明確にし、事実を積み上げていくのであれば、良いのではないだろうか。

 問題は、反論である。

 ナショナリズムと結びついた反論は、自らの正当性を強調するために都合の良い事実だけをつぎはぎしたものになり、本来の問題点を無視した詭弁とダブルスタンダードの産物でしかない。

 

 たとえば、慰安婦問題ではどうであろうか。

 慰安婦問題として取り上げられている範囲は、『1:日本軍による性暴力には単発の強姦(ごうかん)』、『2:拉致した上での性暴力』、『3:管理売春』に分類され、そのほとんどは『3:管理売春』であった。

 元慰安婦の発言に誇張があったとしても、全体として『3:管理売春』が行われたことは事実であるし、日本軍が直接管理しておらず売春という形式であったとしても、その利用者が日本軍を対象としていたことも事実だ。

 自らの意思で売春を選択したのでは無く、家庭の事情などで選択肢の無い強制ならば、悲劇である。

 それは根絶すべき悲劇で、日本人も慰安婦をやっていたからとか、適正な給与が支払われていたからとかは関係は無い。

 また、『1:日本軍による性暴力には単発の強姦(ごうかん)』、『2:拉致した上での性暴力』は、戦争時には、国籍・民族・宗教・地域に関係なく生じるものであり、日本軍だけはしなかったということはありえない。

 過去に起こった悲劇に対してどのように考えるのかという問いに対して、「(一部の)元慰安婦の主張は年代的にあり得ないものや記録と反する」「日本軍は直接管理していない」「強姦ではなく高級売春だ」という反論は、元慰安婦達の発言の信頼性を損なうことを目的にされる反論であり、問いの主旨に答えていない。

 特に元慰安婦の人格を攻撃するような反論は、「事実と論理性に基づき反論することができないから相手の人格を攻撃している、知性や理性の乏しい者」として、反論者の愚劣さだけを証明するのみだ。

 「日本政府は謝罪しており、日韓基本条約で解決済みである。それとは別にアジア女性基金などでこの悲劇に対して誠意に対応している。」という回答にとどめ、発言者の人格を否定してはならない。

 

 日本では、一部の発言の不正確さをもって全体を否定したり、人格攻撃により発言の正当性を否定したりすることが、当たり前であった問題になることは無い。

 (たとえば都知事であった作家など)

 しかし、世界に日本の立場を訴える際にこのような主張をしてしまえば、自らの信頼性を貶めるだけで、何の益ももたらさない。

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