女性を活用できないのに、外国人を活用できるのか?

15 6月

 都合のよい労働者を求めるのではなく、多様性を受け入れる変革こそが必要ではないだろうか。

 

 女性の社会進出の必要性が叫ばれながら、全く進んでいない。

 理由は、日本企業の労働環境が、「日本で育った健康な独身男性」を前提として構築されているためだ。

 日本企業の労働環境では、育児、介護、そして心身にハンディキャップ等を抱える点で圧倒的に不利な状況に置かれ、均一で特異性の無い性格が求められる。

 その圧倒的に不利な状況は、労働者が独力で乗り越えることを求められ、組織(会社など)が状況を変えようとしていないのだから、女性の社会進出が遅れるのは当然の結果だ。

 

 では、外国人の労働者の活用はどうであろうか?

 「日本で育った健康な独身男性」を雇用することが難しい企業においては、企業活動を維持するために外国人労働者の採用は否応なく進む。

 だが、単純な労働者であって、外国人の持つ文化的背景を受け入れようとしない状況は、まさに「使い捨て」だ。

 給与という対価が魅力的か、そこで働く以外に選択肢が無い場合では、外国人労働者は我慢して「使い捨て」を受け入れるだろう。

 しかし今後、円安や新興国の興隆という状況によって我慢する必要がなくなっていけば、「使い捨て」では採用できなくなることが予測される。

 日本語を話し、日本で育ち、日本の労働環境に馴染んだ女性労働者を活用できない組織(会社など)が、日本語以外を母国語とし、日本以外で育ち、日本の労働環境がはじめてという外国人労働者を活用できるのだろうか。

 

 女性や外国人労働者を活用したいのならば、「日本で育った健康な独身男性」という既得権益を壊さないとならないし、その破壊をだれかがやってくれと願うのではなく、組織(会社など)自身が主体として行動しなければならない。

 女性や外国人労働者の「使い捨て」は、戦後日本が培ってきた信頼という財産の「使い捨て」と同義だ。

このエントリーを Google ブックマーク に追加
LinkedIn にシェア
Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です