放射能汚染を語る難しさ

20 5月

 今も続く多くの犠牲をタブーとして無いことにすることは出来ないけれど、語るにはあまりにも難しい。

 

 漫画「美味しんぼ」において、福島から帰京した主人公が鼻血を出し、作中に登場する元双葉町町長の井戸川克隆氏が「福島では同じ症状の人が大勢いますよ。言わないだけです。」とコメントする描写が批判されている。

 科学であるかのように装い放射能汚染の不安をあおっていることや、そこに住まう人々への差別を助長することが問題とされているのだ。

 たしかに身に起こるすべての事象をすべて放射能と関連づけていることは問題であると思うが、そこまで批判されなければならないのだろうか。

 

 放射能汚染について、それを(過大に)不安視して原発の完全破棄を主張する意見と、現在の科学に依拠して放射能汚染を評価した上で経済的に原発の稼働を主張する意見が対立している。

 前者の放射能汚染を不安視する意見では、多くの出来コトがすべて放射能と結びつけられ、「統計的には正常な値では無いのか?」「数十年後に影響がでるということは、タバコや肥満に比べれば害が少ないのでは無いのか?」「それってプラシーボ効果(偽薬効果)じゃないのか?」などの疑問が出てきて支持ができない。

 後者の現代の科学に依拠して主張する意見では、放射能の影響について現代の科学に基づいて述べられて入れていても、将来、それが覆される可能性は十分にあるし、「そこに住む人にとっては気休めにしかならないよな」という漠然とした不安は残り、こちらも積極的に支持が出来ない。

 どちらを支持するにしろ、情報が積極的に提示され、検証されるという過程を繰り返すことが大切で、情報が提示されなくなってしまえば、根本的な安心にもリスクの回避の機会にも繋がらない。

 そこで生活をする人が居る以上、放射能を不安視する意見は差別を助長するという批判は免れ得ないが、それでも情報が閉ざされることは、関心すら失わせてしまい、忘れられるという最悪の仕打ちになってしまう。

 

 くだらないと思われるような情報を一つ一つ拾い上げ、論理によって一つ一つを検証する。

 そうした地道な作業がなによりも必要ではないだろうか。

 今回「美味しんぼ」が取り上げた情報が、すべての人にとっての真実であるかは関係はない。

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