経済的移動可能性が喪失されることは、社会の安定性と正義の喪失と、同義だ。
・格差とは、経済的移動可能性が失われること
・民主主義とは、経済的移動可能性を担保する仕組み
・あるべき経済政策とは、経済的移動可能性の促進
・格差とは、経済的移動可能性が失われること
テレビがあり、スマートフォンがあり、日々の食事を取るコトが出来ている人は、貧困ではないといえるだろうか。
物質の保有量は、豊かさを計るには適しているのかというと、実はそうでもない。
日本などの先進国では、物質的な豊かさは過去と比較すれば十分に満たされているにもかかわらず、格差という言葉が象徴するように、貧困は現代でも重要な問題となっている。
物質の保有が進んでも貧困がなくならないのは、貧困は相対的なもので、社会全体が一律に物質を保有しても、保有量が相対的に不変であれば、その社会的地位もまた不変となる。
社会的地位の変動が容易な社会であれば、個人の努力によって貧困を脱するコトが出来るが、社会的地位の変動が容易でな社会では、貧困層は固定化する。
格差とは、産まれながらにして社会的地位が不変であることを強いられることであり、「社会的地位の変動性=経済的移動可能性」が高いほど、格差は少ないことを意味する。
つまり、貧困を無くすことではなく、経済的移動可能性の高い社会であることが、格差の少ない社会である。
・民主主義とは、経済的移動可能性を担保する仕組み
独裁制国家は経済的移動可能性が低いために、その社会制度は国民からの否定は大きくなる。
しかし中国は、一党独裁であり民主主義国家とは言えず、ジニ係数などの社会的所得格差を示す指標が危険な水準にあるにもかかわらず、社会制度として肯定される意見があるのは、経済的移動可能性が、旧来の社会よりも高くなっていたからだ。
経済的移動可能性が社会制度として担保されている限り、民主主義であるか否かにかかわらず、社会制度に対する否定は少なくなる。
では、一党独裁はいつまでも支持されるかというと、そのようなことはない。
中国共産党は、高度経済成長が維持されて豊になるチャンスが溢れているから消極的に肯定されているに過ぎない。
権力の独裁は経済的移動可能性を低くすることによって維持される社会制度であり、高度経済成長が終わることは経済的移動可能性が低くなるコトを意味し、社会制度への消極的支持が失われ、社会の安定性が急速に損なわれる恐れが高い。
では、自由選挙が民主主義で、どのような場合も支持されているかというと、そういう訳でもない。
「1%が富を独占する社会」は、民主主義国家でおこっている事実であって、その富の偏在は、より強固になっているからだ。
民主主義国家の財政政策は、富める者から貧しい者へ富の移動を強制することによって経済格差の是正を促すはずのものが、日本などの先進国では、貧しい者から富める者への富の移動を促してしまっている。
つまり、民主主義が経済的移動可能性を損なう制度となってしまっているから民主主義への信頼性が損なわれ、政治参加率を低める結果となっている。
・あるべき経済政策とは、経済的移動可能性の促進
経済的移動可能性を維持するためには、教育は必要であるし、教育環境は経済的成功に直接影響する。
大学を出たからといって成功するとは限らないが、だからといって教育の機会が奪われてよいわけではない。
「貧すれば鈍す」という言葉があるように、自らの判断によって高等教育を受けることを選べない環境では、経済的成功をおさめるのは困難だ。
安心して教育を受けられる環境を整備することは、最低限の最優先の経済政策だ。
その上で、経済的移動可能性を促進する経済政策とは、規制緩和だ。
規制は、消費者保護や労働環境の保証など経済的環境を保護するものであると同時に、既得権を持つ企業を維持する側面がある。
規制によって既得権がある産業では、新規参入は出来ず競争が無く、経済的移動可能性は損なわれている状態になる。
経済的移動可能性を促進するのなら、競争を促す仕組み、つまり規制緩和が必要となる。
格差を緩和し、民主主義への信頼を取り戻すには、健全な競争を促進しなければならない。