食品の偽装

6 11月

 『情報』を食べる消費者にこそ、根本原因があるのではないだろうか

 

 阪急系列のレストランの食品の偽装を皮切りに、高級店での偽装が次々に公表されている。

 「この高級店で偽装されているのなら、何を信じればいいのか?」というのが率直な感想だ。

 (阪神なら偽装していてもシャレですむけれど、阪急は駄目だろうというのは、私の勝手な感想です。)

 

 私はチェーン店のコーヒーではマクドナルドが一番おいしいと思っているし、添加物がばかばか入っているラーメンやお菓子もおいしいと思う。

 この程度の味覚で味の良し悪しなんてのは正直わからない私は、高級店の価格はおいしさよりも信用に対する対価だと思っている。

 味覚オンチと自認する私が高級店に行くことがあるとすれば、おいしいという『情報』を買い行くからだ。

 「××産地の天然もので、これは●●だからおいしい」という『情報』を受けて、おいしいと思う(若しくは思い込む)し、それが果たして本当においしいのかは、『情報』の説得力=信用で判断する。

 商品に対して対価を払っているのではなく情報と信用に対して対価を払っているのだから、仮に嘘となったときには、だまされたと思うだろう。

 

 一般的な情報に反し、天然モノよりもおいしい養殖があるかもしれないし、高級ブランドの食材よりもおいしい無名の食材があるだろう。

 自分の判断に従って『おいしさ』という価値に対価を払うものなのに、『情報』に価値を払っている。

 消費者が自らの判断で対価を払うようになれば、企業も虚偽記載をするインセンティブを失うのではないだろうか。

 価値判断を『情報』にしか頼れない私のような消費者が、問題を発生させている。

 新たな規制や法律なんてのは、全く意味が無いしするべきではない。

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