自然災害に対する予測と事前対応は、はずれたとしても非難すべきではない。

24 10月

 非難するくらいなら、無視すれば良い。

 

 地震を含む台風などの自然災害に対する予測は、当たることもあれば外れることもある。

 占いのようなものともいえるが、個人だけではなく国民社会に強い影響を与えることが占いとの違いだ。

 自然災害の予測は、精度が高くなってきたと言ってもいまだに100%ではなく研究途上にある。

 そのため、100%を求める国民社会の期待に応えることはできていない。

 特に、降水確率50%などの傘を持っていければ良いのか判断に迷うときは、「どっちなんだ?」と批判されることもある。

 判断に迷う予測は意味が無いのか?

 全くそんなことはない。

 自己責任を問うための前提である情報を提供しているのだからだ。

 

 どしてもぬれる訳にはいかない人や備えなければならない人にとってリスクを回避するために雨の用意ができるし、多少の雨ならば問題ないと考える人にとっては多少なら良いという判断も出来る。

 大きな災害である台風の場合でも、規模や進路の予測によって、安全を優先し事前に避難することもできるし、(被害にあったら文句をいうだろうが)自己責任でリスクを受け入れる判断も出来る。

 公共機関が事前に避難を実施することやイベントなどが中止されることになったあと、結果として予測がはずれたとしても、予測をした者や事前に対策をとっていた者を非難すべきではない。

 被害が生じなかったのだから、よかったことだ。

 危険と利益は併存するもので、危険を無くすことはできないから、危険と利益のもっとも適切な状況を判断するべきだが、災害が予測されているにもかかわらず効率化を優先することは明らかに判断として不適切だ。

 その他のものには危険を過剰なまでに忌避するにもかかわらず、災害への予測と対応に対しては驚くまでに危険に鈍感になっているのではないだろうか。

 

 危険を無視して効率化を達成できたとしても、それはギャンブルでしかない。

 効率化に目がくらみ危険への予測と対応を非難するのなら、最初から危険を無視すればよいのではないだろうか。

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