専門家(プロ)としての存在意義

21 4月

 分からないことは、google先生に聞けばほとんどのことを知ることが出来る。

 「知識」が価値を失う時代に、専門家(プロ)は従来よりも遙かに高度な能力が求められる。

 

 検索によって、基本的な知識は誰もが等しく瞬時に手に入れられるようになった。

 将棋のプロ棋士がコンピュータに敗れたことは、知識のみで無くその応用力もコンピュータが人間を凌駕していることを証明した。

 こうした時代に、専門家は、専門家という言葉を冠する意義を如何に見いだしていけば良いのだろうか。

 

 法律や会計も語学の翻訳も例外なく検索によって知ることができ、知識として知っていることは、他者との比較においてアドバンテージにならなくなってきている。

 (唯一のアドバンテージは、早く検索できることだろう。)

 他者との間で圧倒的なアドバンテージがあるからこそ専門家であって、アドバンテージが無くなってしまえば専門家とはいえない。

 これから専門家と呼ばれるには、資格を持っているか否かでは無く、知識を仕組化することが出来るほんの一握りの人間だけだ。

 少なくとも、作業をするのではなく、社会や会社に新しい価値を提供し続けることが必須条件になるだろう。

 

 google先生に負けない存在で無ければ専門家としては価値が無く、google先生よりも勝ることが専門家としての存在意義だ。

 人間が知識と応用力でコンピュータに負けることを受け入れる世紀において、専門家に求められるコトは、果てしなく高い。

このエントリーを Google ブックマーク に追加
LinkedIn にシェア
Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です