無抵抗な人間に対して一方的に暴力を行使することは、人として最低の行為だ。
体罰などにより追い詰められて自殺した出来事は、本当にやるせない。
指導者にとってみれば選手や生徒を伸ばすためにしているという意識があるのかもしれないが、自分が指導者として成長できていない埋め合わせを、選手・生徒に対する暴力によってどうにかしようとしていたとしか思えない。
これが抵抗できる人間であったならば、体罰という指導は行われただろうか。
反撃される恐れが無い安全地帯から、暴力によって成果を上げようなんて、卑怯でしかない。
明治から終戦まで(特に終戦間際)は、暴力による修正が行われたようだが、江戸時代の寺子屋などでは暴力による指導が行われただろうか。
何よりも子供を大切にした文化において、暴力は教育といえるだろうか。
体罰は、いじめ以上に卑怯な行為だ。