学者の良識

28 10月

 「ある研究者?がiPS細胞を使った臨床実験?をした」という読売新聞の誤報では、新聞社の誤報よりも、研究者の良識の低さが浮き彫りになった。
 共著者として名前を貸してほしいといわれれば、内容を全く知らなくても名前を貸してしまうという実態だ。
 自分の名前を貸すという行為は、何かあれば自分自身に損害が降りかかってくることだから慎重になるべきものなのに、誤報が流れたらあっさりと何事もないように削除依頼がされた。
 助成金など資金の提供をうける根拠となる論文に虚偽があったのなら、これは詐欺だ。
 共著者なら「知らない」なんて言い訳は通用しないし、連帯して詐欺行為をしたとして告発されるべきことだ。

 

 研究者にとって自分の名前というのはその程度の価値しかないということだし、単著でなければ論文も図書も研究者にとっての成果と呼べないということだろう。
 もっとも昔(理系、特に医学系)は、修士論文で一本、博士論文で五本など、論文を通していただくことで謝礼を払うことは当たり前だったし、共著者として名前を借りるときに相応の謝礼を要求された。
 その名残が今でも残っているということだろうか。

 
 地震研究者が安全宣言を出した後に大地震で死者が出たことに対する裁判で、有罪判決を受けた。
 そもそも地震研究者は、研究者としての見解にたいして刑事的な責任はないと主張していた。
 この点に関しては、学者の主張は正しい。
 なぜなら、自らの研究の見解を述べただけであって、それが刑事的責任になるのならば、だれも何も研究も発表もできなくなってしまう。
 しかし問題は、「安全宣言を出さなければ観光に影響がある」という政治の圧力があったと証言していることだ。
 この証言は、「自らが不当な圧力にさらされており、これ以外の証言はできなかったから、責任はない」という意味だ。
(その政治家は、安全宣言は経済的に当然のことだと述べている)

 研究者は、良識を持って自らの研究をしていると期待されているから、その発言・発表には、政治などの影響を受けずに信念を持っているとして信頼されるのだ。
 それなのに、政治的な影響(自分の研究費等を含む)を勘案したのなら、それは研究者ではなく政治家だ。
 政治家であるのに研究者のふりをしている詐欺師といってもよいだろう。
 研究者のふりをして、だます意図をもって安全宣言をだしたのだから、責任を問われることは当然だ。

 清貧が正しいとは思わないし、清貧を求めることは誤りだと私は考える。
 相応の対価を受けてしかるべきだ。
 ただし、研究者としての良識のない者に与えるべき対価は何もない。
 なぜなら、良識を失った研究者は、詐欺師でしかないからだ。

このエントリーを Google ブックマーク に追加
LinkedIn にシェア
Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です