事実の検証こそ新聞の最大の価値

15 10月

 様々な情報が飛び交い安易に入手できる現代にあって、検証された情報は、最高の価値がある。

 新聞はその点では最高の情報媒体だ。

 

 iPS細胞の臨床実験について、読売新聞が誤報をしたとしてマスコミでは騒がれている。

 確かに誤報は問題であるが、マスコミは検証された情報を流すという信頼性があるから問題になっているのであって、これがネットの情報であったならば、誤報という表現すら使われないだろう。

 ネットでは私のような個人が自由に情報を発信できることから多様な情報を得ることができ、ある部分においては、費用を払って得る情報よりも優れているものもある。

 しかし、事実であるかないかという点においては信頼性は著しく低くなる。

 つまり、ネタとして情報を得るには最適であるが、事実を積み上げるという過程には向かない媒体だ。

 新聞という媒体が事実を検証して初めてネットの情報が価値を持つ場合がほとんどと言えるだろう。

 

 マスコミは真実を報道しないという批判はネットではよく言われるが、この批判は、二つの点を考慮する必要がある。

 ひとつは、自分の考えと反する内容であるときには、真実でないと批判することだ。

 事実に対して多様な判断が生じることは当然のことで、自分の価値基準にあわないからといって、それらがすべて真実を報道していないというわけではない。

 マスコミの価値基準に従って報道しているだけであって、その基準に基づいた真実を報道しているといえる。

 であるから批判すべきはマスコミの価値基準であって、絶対的な真実を報道しないという批判は利己的にすぎる。

 もうひとつは、事実の検証ができないことは報道できないということを受け入れられないことだ。

 ネットでは状況証拠以前に心証だけで事実になるが、新聞報道ではそれだけでは事実として報道するには不十分だ。

 事実であるのかという批判に対応できなければ、記者がどれほど誤りがないと信じていても事実として報道できない。

 もちろん今回のように事実の検証が不十分な場合があるだろうが、絶対的な検証はできないのだから致し方ないといえるだろう。

 

 政局のから騒ぎや検察など官僚の広報などの記事は、読む価値は無い。

 それ以外の費用をかけて検証された事実による記事は、費用対効果の点から見ても非常に価値が高い。

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