求めることを記事にして欲しい。

16 9月

 興味のないことを記事にしても誰も読まないし、そんなことで質問の大部分を占めないで欲しい。

 

 自民党と民主党の候補者が出揃い、総裁・党首を決める選挙がスタートした。

 どちらも、自らのグダグダぶりと、国民不在の党利党略優先の政局活動に勤しんでいることから、有権者から完全に愛想がつかされてしまっている。

 この状況を覆すためにも、身内の選挙は重要であるのだけれど、顔ぶれは変わらないし、主張も皆変わらない。

 総裁・党首の顔を変えたいという、ただそれだけだ。

 

 特に虚しくなってしまうのは、そうした政治家を監視し、国民に情報を伝えるためのマスコミの水準の低さが、これまでにないほど露わになっていることだ。

 どのような記事を書くかということから逆算して質問をすることは当然のことだとおもう。

 しかし、その記事の内容が、国民の大多数で、または政治に関心を持とうとする人たちにとってどうでも良いのならば、価値はない。

 価値の無い記事を書こうと必死になって質問している姿は、政治家よりも哀れに見えてしまった。

 私がそう感じたのは、記者たちが候補者に対しての質問のほとんどが、ほかの党(大阪の地域政党)との連携と、派閥についてだったからだ。

 

 「何を考えているのか。何を実行するのか。」

 知りたいこと、知らなければならないことは、この二つだ。

 ただ、何についてということが重要であるのに、どうでも良いことの考えや実行については、知りたいとは思わない。

 国民が、少なくとも私がもとめることは、ほかの政党との連携や派閥についてではない。

 一票の格差の是正であり、社会保障であり、外交方針だ。

 いい加減マスコミは、55年体制から頭を切り替えて欲しい。

 ガバパゴスから脱却できないマスコミは、これからもどんどん衰退していくのだろう。

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