メダルの色

5 8月

 ロンドンオリンピックがはじまっているが、日本は様々な種目でメダルを獲得している。

 メダル獲得数に比して金は少ないが、複数の種目で獲得していることは、日本のスポーツ文化の成熟を端的に示すものであるし、全く良いことだと考える。

 

 途上国であれば、金メダルを獲得できる種目に注力し、そして、インセンティブとして資金を提供する。

 国威掲揚を目的にスポーツを利用することは、スポーツが国の従属であることを意味し、アスリートのための、国民のためのものではないという裏返しだ。

 金メダルを日本がどうやって獲得するのか、金メダルの数をどうやって増やすのかを考え国家を批判する人は、精神が国に従属している人であるし、先進国に認められたいという呪縛から逃れられないのだろうと考えてしまう。

 (それ自体が悪いとは言わないが。)

 

 対して、アスリート・国民のためにスポーツがあるのならば、参加することに意義があるし、日本のアスリートが多くの種目に参加していること自体、賞賛されることだ。

 その結果として、表彰台に登ることは、なにものにも代え難い名誉をアスリートは獲得できる。

 中国・韓国の経済成長に対抗意識を燃やして、「金メダルこそ全て」とアスリートを批判する向きもあるが、「なんだろうな」と思ってしまう。

 

 好きなスポーツを観戦し、好きな選手を応援する。

 そして、観戦もするし、自らもスポーツをする。

 それが成熟した社会といえる。

 それがスポーツ文化を国家ではなく、国民が獲得したといえる。

 そう、私は思う。

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