詰め込み教育と中産階級

20 4月

 詰め込み教育をしたとしても、中産階級を増やすことはできない。

 インターネットにより知識を詰め込むことが優秀であるというインプット型から、知識を集めて形にするというアウトプット型に求められる人材が変わってきたからだ。

 インプット型を育成する詰め込み教育が日本を発展させるといういう考えは、懐古主義でしかない。

 

 詰め込み教育はインプット型を育成するための教育システムの典型であるし、私は、ゆとり教育は誤った教育方針ではないと考える。

 問題なのは、ゆとり教育が教育の放棄と受け止められたこと、大学・社会はインプット型を求めていたこと、アウトプット型の教育に転換するための土壌がなかったことだ。

 

 計算や漢字を繰り返す教育方法が注目を集めた。

 向上・達成がわかりやすく成績が伸びるとして脱ゆとり教育の急先鋒のような扱いを受けたのだが、数年たった結果は、あまり学力の向上に寄与していないことが明らかになった。

 成績を伸ばす裏ワザがあることや慣れによって学習ではなくただの作業になったからだ。

 なにより、詰め込むだけでは論理的思考能力はあがらない。

 論理的思考能力は対話や思索の時間が必要であり、知識と論理性がバランスよく発達しなければならない。

 従来は、知識は学校で、論理的思考能力は家庭と社会ではぐくまれていたから一応のバランスが取れていたと考えられる。

 しかし、家庭や社会での教育能力が著しく低下した現代において、知識を詰め込む教育を学校が続けるのは非常に危険だ。

 論理的思考能力は数値やタイムでは図りにくいものであるけれども、そのための時間を学校の場に設けることは意義があると私は考える。

 

 グローバル社会・インターネット社会への移行と、日本の経済の停滞は重なっている。

 前例では解決できないところにビジネスチャンスが生じ、前例世襲主義が悪である時代において、日本の企業は、前例に従う画一的な人事採用を行い過去の成功体験に従った人事制度を採用してきた。

 (その最たるものが、日本の労働制度であろう。)

 過去の成功体験を忘れられないことが、ゆとり教育世代は使えないという意見につながっているのではないだろうか。

 なによりこの意見は、詰め込み教育を受けたゆとり教育世代ではない世代が、日本の沈没を招いているという事実を無視しているものだ。

 

 不幸なことは、「ゆとり教育=教育レベルが落ちている」とされていることで、家庭と社会の問題に目をつむり、すべてを学校の責任して、教育の本質的な問題が議論されていないことだ。

 それは、アウトプット型の教育とはどのようにあるべきかということだ。

 私が考えるアウトプット型の教育とは、論理性に基づく想像力を駆使できる人材を育成することだ。

 論理性は、知識と言語力の両方が基礎となっているもので、その点において知識の詰め込みは肯定される。

 言語力は、言葉の意味の深さと選択肢の幅を広げることであるが、それを指導できる教育体制になっていないことが、学校教育の問題、学校教員の育成の問題である。

 この問題を解決するために、教員には修士論文を義務付けることと、哲学と国語教育の義務付けることが必要と考える。

 哲学は無力な学問ではない。

 なぜなら、あるべき理想を、言葉のみによって、矛盾なく論理的に証明する学問だからだ。

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