代表選考 顔の見せない政治

16 3月

 オリンピックのマラソン日本代表が12日決定された。

 名前も実力もわからないし、正直誰がなろうがどうでもよいと思っている。

 マラソンに興味が無いのに書いてしまうのは、相変わらず顔の見せない政治を続けているスポーツが好きではないからだ。

 

 政治家であれば、自らの発言と行動は公になり、選挙民が選挙で当否を決定することができる。

 権力を持つかわりに監視され、選挙によって評価をくだされる政治家にくらべて、代表選手を選考する権力者たちの「顔」は明らかではない。

 選考の基準も明らかではなく、選考の過程も公開されないままでは、権力者たちの評価を下すことができない。

 そうした顔の見せない無責任な政治を続ける団体に、スポーツの名を冠して欲しくはない。

 

 何よりも腹立たしいことは、こうした顔の見せない政治は、代表選手を侮辱しているともいえるからだ。

 代表選考に名を連ねた選手は、多くの敗者を生み出す非情な競争の中で努力して結果をだした人たちだ。

 最後の代表選考で顔の見えない政治によって代表選手の座を与えることは、自らが神であるかのようなふるまいだ。

 そこには選手たちに対する敬意は何もない。

 敬意を払うのであれば、最後まで公正な競争を演出することに専念するべきだ。

 

 選手たちを駒としてメダルごっこに興じる姿は、少なくともスポーツの爽快さとは無縁ものである。 

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