試される民主主義

5 3月

 アラブの春によって独裁政権が倒れ、民主主義制度と憲法の立案の作業が進んでいる。

 その過程で民主主義のコストが顕在化しているが、そのコストを消化してこそ市民が求めた民主主義国家に結びつけることができる。

 今現在アラブ諸国は民主主義国家でないかもしれないが、民主主義に対する挑戦する姿は今の日本には無いものだ。

 

 エジプトでは上下両院合同の協議をして、憲法の議論を開始した。

 イスラム色が強いかという点は注目すべきであるかもしれないが、むしろ、非イスラム教の権利をどのように認めるかという点に注目している。

 ムバラク大統領を退陣に追い込んだ後、エジプトでの少数派であるキリスト教徒に対する迫害があり、欧米諸国が懸念を表明することがあった。

 民主主義はだれにでも投票権があるから少数の意見が反映されて迫害などは生じないというわけではない。

 多数を持っている意見がその数によって暴走することはトゥクビのアメリカのデモクラシーによって述べられている。

 健全な民主主義とは少数の意見も多数の意見と同じく尊重し、理性によって解決策を探ることによって成り立っている。

 多数派による寛容と勇気を必要とするのであるが、多数派が少数派を虐げることが当然とするのであれば、独裁政権と何ら変らず、それは民主主義とは呼べない。

 多数派のイスラム教徒は、民主主義の実現を選ぶのかが試されている。

 

 チュニジアでも憲法の議論が開始しているが、女性の権利が一つの焦点になっている。

 チュニジアでは中東の中でも女性の権利がもっとも尊重されていた国だ。

 連立内閣の中で、憲法にシャリーアを盛り込むことを強行に主張し、政治と宗教の分離はイスラムにはなじまないという政党がある。

 それとは反対に宗教と政治を混同すべきではなく市民の自由を制限すべきでないという政党。

 そして、憲法はチュニジア国民を連帯させるものでなければならず、シャリーアを憲法に盛り込むべきと主張する政党は、自らの行動においてのみシャリーアに基づけばよいと主張する政党。

 これらの議論がどこに落着くのかは定かではないが、女性の権利の抑圧は市民の権利の抑圧と等しい。

 チュニジアの市民がどのような自由を選び取るのかに注目される。

 

 シリアではハマド大統領が市民を虐殺しているが、シリア国民評議会などを中東の市民が支持している。

 ハマド大統領を支援しているのはイランとロシアであるが、ロシアに対する中東諸国の嫌悪感は日に日に強まっており、プーチン大統領はハマド大統領の虐殺の仲間であるかのような報道すらある。

 今まではイスラエルを保護するアメリカに対して中東諸国と市民は強く反発していたが、国連の場などでもサウディからの強い非難を浴びるなど従来ではなかった状況になり、中東の敵役を今はロシアが引き受けている。

 シリアの反政府勢力は軽武装しかないため、政府軍に対してまとまった抵抗をできていないが、中東諸国が反政府勢力に武器供与をするという発言も有り(すでに行われている可能性は高い)、シリアのアサド大統領にとってここは正念場だろう。

 民主主義を求める市民のエネルギーは、難攻不落の独裁政権をも倒せるという前例があるだけに、虐殺だけで政権が維持できるとは考えにくい。

 民主主義のコストは高くとも、そのコストを払うことによって実現できることが証明されているからだ。

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