テレビ、特に民放は観れたもんじゃない

25 3月

第1条 「この法律は、左に掲げる原則に従つて、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。

1.放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。

2.放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。

3.放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。」

 第6条の2「放送事業者は、国内放送を行うに当たり、暴風、豪雨、洪水、地震、大規模な火事その他による災害が発生し、又は発生するおそれがある場合には、その発生を予防し、又はその被害を軽減するために役立つ放送をするようにしなければならない。

 

 地震発生によって、ツイッターなどのSNSとは別に、改めてテレビというメディアの重要性と影響力を考えさせられた。

 正直私は、テレビは「終わった」メディアなんだと判断せざるを得ないと考えた。

 地震災害の腰の引けた報道、東電・政府の報道をそのまま流すこと、東電寄りの東大系の学者しかコメンテーターに呼ばないこと(NHKは東大系ではない学者を採用し価値ある報道をしていた)、地震や原発という緊急の事態よりも計画停電の影響に時間を割いていることからだ。

 そして、地震の被害者たちの苦境とかけ離れた民放のバラエティー番組と野球騒動を観ていると、どう表現してよいのかわからないが虚しくなってしまってしまい、すぐに消してしまう。

 

 政府も東電もこの災害へは十分に対応できていないが、テレビは十分以前に全く対応できていない。

 テレビ局で働く人たちは、対応できていると思っているのだろうか、対応できていないことに対して危機感を持っていないのだろうか。

 彼らは不思議な人たちだと私は思う。

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