子ども手当てを満額支給すべき

24 7月

 「子ども手当てを満額支給すべき」理由

 1:労働成長率の低下を緩やかにするため

 2:技術進歩率の低下を防ぐため

 3:効率的な所得分配であるため

 

 前提の整理

・経済成長率について

 経済成長率 = 資本成長率 + 労働成長率 + 技術進歩率

 と通常説明される。

 資本成長率は、貯蓄や投資などによって説明され、労働成長率は、労働人口の増加や労働者の質によって説明される。

 技術進歩率は、ソロー残差とも呼ばれ、経済成長率から資本成長率と労働成長率を控除したものとして算出される。景気などによって左右されず、日本では毎年1~2%程度である。研究開発の支出の水準が技術進歩率を決定するが、どの国も毎年研究開発に多額の支出をしており、技術進歩率のみを単独で向上させることは不可能である(研究開発投資を現在の水準を遥かに超える規模にすることは不可能という意味)。

 現在の日本は、少子化により労働成長率は低下しているが、技術進歩率が労働成長率の低下よりも上回っているため、自然成長率は正となっている。

 

・政策のロスについて

 どのような経済政策であってもロスは生じる。1円の税金が徴収されたとして、1円がそのまま分配されることは無い。事務費用、つまり公務員に対する人件費を必要とするため、1円未満の分配しかされない。

 また汚職などによっても分配効率は低下するが、日本の場合には非常に少ない。

 

 1:労働成長率の低下を緩やかにするため

 現在の日本の労働人口は団塊の世代が多くの比重を占めているが、数年後にはこの団塊の世代が定年退職によって職場からいなくなり、急速に労働人口の低下が始まる。労働成長率の低下は今までは緩やかであったが、それが勢いを増して低下していくことは避けられない。

 日本は移民などの受け入れを事実上認めていないため、出生率の低下は労働人口の低下に直結する。少子化は労働人口の低下を招き、経済成長を押し下げる。少子化対策は、日本が持続的に成長していくための必要最低条件である。

 (2009年の合計特殊出生率は「1.37」と「2」を大きく下回っている。これを「2」とまではいかないまでもそれに近づける必要がある。)

 また、「学校などへ行かずに働けばよい。昔はみんなそうであった。」「学校の勉強なんて社会では役に立たない」という意見があるが、これは全くの間違いだ。教育年数が10%増加すると生産性が8.6%増加する(アメリカの全国規模の統計調査の一つ)ことが明らかになっており、現在の先進国の経済成長を支えているのが高学歴化であることは否定しようがなく、人的資本の増加は経済成長の主要な源泉の一つである。

 教育は以上のように経済成長に重要な影響を与えるが、日本では母子家庭、父子家庭の貧困割合は先進国の中でトップであり、貧困が教育に悪影響を与えている。家庭環境に左右されず教育を受ける機会を与えることは緊急の課題である。

 

 2:技術進歩率の低下を防ぐため

 技術進歩率を牽引するのは研究開発への支出の水準である。しかし、研究開発をするのはあくまでも人であって、技術進歩率は人的資本にも依存し、少子化は技術進歩率にも悪影響を与える。

 少子化により技術者が不足し、技術の承継が進まず途絶えることや、教育水準が下がり、発見が生まれ難くなるからだ。

 研究開発投資を増やせば、教育投資を増やす必要はないわけではない。両方増やす必要がある。

 

 3:効率的な所得分配であるため

 所得分配において最大で不可避の無駄は公務員への支出である。補助金などは官僚や政治家の裁量により決定され、調整により生ずる労力という多大な無駄が発生する。

 資金(所得)の分配に対して多くの者が関与できるということは、それだけ多くの無駄が発生するということである。そして、官僚の役割を大きくし、公務員への支出という無駄を増長させる。

 (補助金を受けるための交際費、政治家への寄付金という無駄もまた生ずる。)

 子ども手当ては公務員の裁量によらず直接個人に届けられずため、裁量という無駄が生じない。つまり効率的な所得分配ができる政策である。

 


 「子ども手当てを受け取った親がそのままパチンコに使ってしまうから反対だ」という意見がまかり通っている。感情論としては理解できなくもないが、全くこっけいな批判である。

 公共事業や研究開発、その他の補助金に伴う業務の受注のために多額の交際費が昔から支出されてきた。この交際費を支出しなければより少ない額で済む。つまり交際費という無駄が税金によって支出されてきたのだ。

 親がパチンコに使うのは駄目で、夜の歓楽街に支出されることは妥当であるのか?

 パチンコに支出される額と、夜の歓楽街に支出される額ではパチンコに支出される額の方が大きいといえるのか?

 無駄をすべて容認すべきといっているのではない。どのような政策(所得分配)にも無駄は発生する。

 無駄と政策の効果を比較考慮して判断しなければならないのに、無駄が発生するから駄目だと、効果も何も考えずに感情的に批判するのならば、すべての政策は実行できない。

 無駄が少しでもあるからやるなというのならば、何もするなということと同じだ。

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