非実在、普天間、ぶら下がり、凛の会

27 4月

 「東京都青少年の健全な育成に関する条例改正案 質問回答集」を東京都が公表したが、相変わらず18条の6の2・3項「都は、事業者及び都民による児童ポルノの根絶及び青少年性的視覚描写物のまん延の抑止に向けた活動に対し、支援及び協力を行うように努めるものとする。」という、東京都のバックアップする官製市民運動による悪書追放運動の対象となるという仕組みについては触れず。

 また小説を規制対象外にしていることについて、

 「小説は、その表現に用いられる言葉が様々であり、それを読んだ人の年齢、性別、経験、読解力などにより、捉え方や感じ方が千差万別であって、絵や映像のように一律・具体的・客観的な印象を与えるものとは言えません。例えば、性器や性交を表す言葉自体多岐にわたり、どんな子供でもすぐにその意味が理解できるものではありません。

 これに対し、漫画などの「絵」は、年齢にかかわらず、何を表しているかを見るだけで具体的に捉えることが可能です。」(回答集より抜粋。下線は私が引きました。)

 すぐにわかるものならだめで、すぐにわからないものなら良いのか?

 すぐにわかるエロ本などは、コンビニでもビニールに包み、子どもが見れないようにするなど現在どこでも自主規制されており、漫画やアニメを弾圧したいようにしか解釈できない。

 条例を本気で作りたいのなら小説を対象に加え、「太陽の季節」(石原慎太郎著)を条例と同時に発禁処分にすると発表するぐらいの覚悟が必要だと考える。

 (規制対象に小説を加えたら、源氏物語(紫式部著)も間違いなく規制対象になるけれど。)

 

 日本にアメリカ軍の基地をおくことは必要であるのか。あるとしたら、どこにおくのか。

 こうした議論をすべきなのに、「米軍は必要」、「沖縄県は反対している」、「徳之島は反対している」と、反対を伝えるだけで議論をするための報道がない。

 名護市の反対運動をするものたちの中で、本当に名護市民はいるのか?

 徳之島の反対運動に住民の過半数の反対者が参加したとあるが、参加した者のうち、徳之島の住民の割合はどれだけなのか?

 基地経済に依存する(または基地の誘致を期待する)住民たちは本当に基地移設に反対しているのか?

 批判のための批判材料を集めて、批判に都合の悪い材料(実は重要な材料)を除き批判することは報道ではない。

 今の報道はただのヒステリックで、本来は『国論を二分する問題である』と述べ、基地問題をそのあり方から含めて考え報道するべきだ。

 民主党政権になり、沖縄県の基地問題は大きく揺れている。

 しかし、政権交代があったからこそ、「そもそも日本にアメリカ軍基地は必要なのか?」という根本的な問題を考える端緒が与えられたのであり、また、沖縄県や沖縄県以外の国民が、アメリカ軍基地のあり方について選択肢を与えられたのだ。

 この「選択肢」が与えられた価値を評価すべきであると私は考える。

 

 鳩山首相は「ぶら下がり」をやめようと考慮している。

 「ぶら下がり」は、より多く首相が国民の前に出て、国民に対する情報開示を促進するといわれている。

 しかし、ブログやツイッターなど国民が低コストで容易に情報を手に入れられる現状では、「ぶら下がり」は記者クラブの特権ではあるが、国民には全く価値が無い。

 また、記者は毎日同じ質問を繰り返し、それに首相は同じ回答を繰り返すだけの「ぶら下がり」に、最高責任者の時間を割かせることこそ無駄である。

 「ぶら下がり」は、災害発生時など緊急性と影響の大きい事象が起こった場合に限ってやってもらえればよいと考える。

 

 「凛の会」元会長に対し、村木被告への働きかけは無罪と地裁で判決された。

 検察の調書の一部が信用できないと証拠として採用されないという、従来の刑事裁判ではほとんどありえない事態となった。

 これとは別に、検察会見をフリーの記者に解放するように最高検が通知をするなど、検察とマスコミと裁判所の談合癒着体質を解消する動きが加速している。

 開かれた司法という言葉が、真に実行しはじめている。

 談合癒着体質による恩恵を受けていたマスコミからしたら、民主党による快挙ではなく悪政にしかすぎないが。

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