いわゆる「密約」問題に関する調査結果

12 3月

 今回の密約の検証は、民主党政権誕生の最大の功績かもしれない。

 座長の北岡伸一氏が言うように、ほとんどはアメリカにおいて公開されている書類により公然の事実であり、日本政府の資料により確認されただけだ。

 調査報告により日米関係に支障をきたすことは無いだろう。

 しかし、外交が検証されるという、民主主義国家にとり当たり前のことがいままでされなかったという異常さを、少し改善できた。

 外交は検証されるということを通して、時の政府の正当性と、現政府への将来からの監視となる。

 今後の日本外交にとり有益に働くことだろう。

 

 調査報告は、密約の定義やなぜ外交資料は公開されなければならないのか、例外は無いのかなどを定義し、解説している点で、読み物としても非常に面白いものとなっている。

 こうした調査報告がネットにより容易に入手できるのだからありがたい。

 

 私が調査報告で注目し、問題だと考えた点は、資料の保存と公開のルールである。

 この2点は「補章 外交文書の管理と公開について」として、報告書の中の別枠で述べられており、以下の文章がまず始めに記されている。

 「大正期の外相・石井菊次郎は、「書類の整備の完否は、外交の勝敗を決する」という名言を遺している。実際、明治・大正期から昭和の日中戦争、太平洋戦争を経て、さらに対日平和条約にいたる外務省記録は、敗戦に伴う焼却や火災による消失を除けば、案件毎に良く保存・整備され、日本外交の足跡をかなりの厚みをもって再現することが可能となっている。では、対日平和条約とともに再出発した外務省が、そうした営みを継承し、将来のために記録として遺す、ということに十分に配慮してきたのであろうか。必ずしも外務省にとどまるわけではなく、こうした疑問は戦後の公文書にアクセスした研究者や利用者が長く抱いていたものである。」

 日本の外務省は比較的文章を保存しているようだが、戦前の資料より戦後の資料の方の欠落が目立つと結論付けている。

 都合の悪い資料を破棄したと報告書は述べていないが、戦後の資料の欠落が目立つのはそのように受け止められても仕方が無いと考えられる。

 

 民主主義国会において、政府や政府が行った外交を事後的に検証することは、自国が民主主義国家たらんとする場合に欠かすことができない民主主義のコストであり権利である。

 そのためには、資料を適切に保存し、そして公開されなければならない。

 30年ルール(30年経てば原則公開される)が施行されて30年経つが、公開されていない資料があまりにも多い。

 「在日国連軍地位協定(1954)、日米安保条約(1960)及び関係・関連取極め、日米貿易経済合同委員会(1961~1973)、沖縄返還協定(1971)、日米繊維協定(1972)、日中共同声明(1972)、第1回ASEAN 首脳会議(1976)、ロンドン・サミット(1977)、福田総理東南アジア6 カ国訪問(1977)、ボン・サミット(1978)、日中平和友好条約(1978)」

 今回の密約以上に機密性の高いものとはいえないのだから、外務省は即時開示すべきである。

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