価値観とルール

17 2月

 スノーボード・ハーフパイプの国母選手の服装が問題視され、報道されている。

 この事件(?)は、国母選手の着こなしがオリンピック選手にふさわしくなく、日本の代表としてふさわしくないということが理由であるようだ。

 

 価値観は多様であるべきだし、国母選手の服装が好ましくないと感じるか否かは人それぞれだ

 批判するのも自由である。

 

 しかしその価値観の問題と、ルールはまったく別の問題だ。

 国母選手は以前からそうした服装であったろうし、それが問題になったことも無い。

 国母選手が指定のブレザーやネクタイを全くしておらず、パンツ一丁であったならば問題であるが、指定の服装は着ている。

 私的な集まりではともかく、公の場で処分するのならば、明確なルール違反を犯しているときでなければならない。

 オリンピックではちゃんとしてほしいというのなら、その「ちゃんとした」服装をルールとして明示すべきだ。

 後になって、価値観が合わないという理由で処罰することは誤りだ。

 

 また、価値観が合わないという批判があるからといって、行事に参加させないとか応援を取りやめるという対応もおかしい。

 

 価値観を互いに話し合う自由は保障されるべきだ。

 それが、多様な価値観を育むことになるのだから。

 しかし、(明確な)ルールで定められていないことについて、後から価値観を理由に公の場で処分することは許されない。

 多様な価値観を否定することであるからだ。

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