現実を見ない現実主義になっていないか?

28 12月

 「現実主義とは理想主義と同じく一つの思考法であり、その特徴として、権力として定義された利益の概念を指標とすること、社会・歴史・政治について、それに内在する不可知なものを承認し、簡単な図式でもって置き換えないこと、そして、目的と手段との間の相互関連性を認め、この両者の間の生き生きとした会話を重要視することを説くものなのである。」(高坂正堯、『現実主義者の平和論』より抜粋。下線は私が引いたものである)

 

 これは、高坂正堯の現実主義の定義である。

 私が注目したのは、「簡単な図式でもって置き換えないこと」という部分である。

 

 自らの意見を主張し、通す際には、自分の意見の正当性を示すための証拠を示す。

 誰かに自分の意見を認めさせるためにはこの手法は至極全うなものである。

 しかし、自らが真理を追い求める際には避けなければならない。

 なぜならば、採用しない証拠に真理を解く鍵が含まれている可能性があるからである。

 

 物事を判断し、行動する際には、思考をシンプルにする必要がある。

 その際には、多種多様な情報をそぎ落とし、単純な図式に簡素化しなければならない。

 簡素化によって、最終的には誤った判断と行動をする可能性は否定し得ない。

 しかし、より早く行動するためには、簡素化するという作業は必要であり、でなければ行動できない。

 

 自らを現実主義者として標榜する者は多いが、自分の思いにとらわれることなく、また表面的な情報以外の情報に気を配り、そして情報をそぎ落とさずに思考することができている者はどれほどいるだろうか。

 私は自らのブログを読み返してみて、「現実主義ではないな」と失笑してしまった。

 だが、現実主義足り得たいという思いは常にある。

 

 反省し、向上していきたい。

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